アフリカ1988年

1988年11月〜12月にかけてタンザニア首都ドドマの水源となっている岩盤地下水の涵養機構に関する調査に出かけた。東アフリカ高地の赤い大地、茜色のトワイライトを進むおんぼろバス、バナナ葺きの小屋とくつろぐ人々、脳裏に焼き付いたアフリカの光景を思い出すと懐かしさに似た不思議な気分になる。アフリカに行ったものは再び帰るのか?
キリマンジャロ山。1988年11月ナイロビからダルエスサラームへ向かう途中出現した雄姿。
シャワー。1988年12月、アルーシャ、ドドマ間で見た光景。
オルドバイ渓谷。人類発祥の地の一つ。2000年には周口店にも行った。ジャカルタ、バンドンではジャワ原人も見ているので、あとはネアンデルタール人、クロマニヨン人に会いに行きたい。
ンゴロンゴロ国立公園。背後はカルデラ壁。雄ライオンは家族を見守るという仕事をちゃんとしている。
水汲み。素堀の井戸の中の水は濁っている。手押しポンプがあればきれいな水が汲めるのだが。
人類発祥の地、アフリカでは地面からxxxも生える。蟻塚です。
バオバブの樹は断層に沿って生えるという。そこを狙って深井戸を掘ると水に当たる。その実はラムネドロップのような爽やかな味がする。

 初めてのアフリカで見た住民の生活は確かにprimitiveなものであった。しかし、貧しいという印象は持たなかった。粗放な農業形態であるが、とりあえず収穫できれば生きていける。失敗しても村では相互扶助が習慣として根付いている。もちろん、異常気象等の天変地異に対しては脆弱なシステムではあろう。だから、そのような場合のみを想定した準備を怠らなければ人間として人生を全うできる社会なのではないか。現在の先進国並の生活をスタンダードとすることは誤りなのではないか。こんな考えは甘いだろうか。