昨年9月に水文学実験Uに向かう途中で撮影した羽村の「まいまいず井戸」。武蔵野台地では地下水面が深いために、まず大地をすり鉢状に掘ってから、その底に井戸を掘る。深みに達するためにはその口は広くなければならない。研究という行為も同じ。特に環境問題は地域の問題。一般性や普遍性といった範疇の知識を含む幅広い知識や経験を持った上で個別性を掘り下げていく。これができないと問題に対応することはできない。


2008年9月河北省石家庄市の南水北調水路。この先で、Futuo河をサイフォンでくぐり抜けます。すでに水は流れていました。北京の水はいよいよ緊張のシステムによって維持されるようになりますが、そのコストは永久に負担しなければならない。都市機能をこの水が永久に支えることができるだろうか。世紀の実験が始まったといえます。(2008年9月)


2007年10月河北省保定市付近の南水北調工事現場。写真は北緯32度にある漢江丹江口水庫から北緯40度の北京・天津まで水を運ぶ南水北調中線の工事現場。中国は長江以南では年降水量は1000mmを超えますが、北京周辺は600mm以下の半乾燥地域で、水不足に苦しんでいることは皆さんご承知だと思います。南の水を北に調達することによって発展を続ける華北の水不足は緩和され、さらなる成長が期待されています。中国は将来にわたりこの水路を維持するコストを負担しなければなりませんが、そのような懸念を吹き飛ばす経済発展が背景にあります。成長により問題を解決するという施策は日本と同じですが、日本は人口減少社会、国力の低下する社会を迎え、思想界では環境適応型の 低コストの安全・安心社会に向けた議論も成熟してきたように思います。いずれ政策に反映される時が来ることを期待しています。その時の日本はどのような社会になっているか。これからも日本やアジアの国々における“安心して、楽しく、少し豊かに、そして誇りを持って暮らせる社会”について考えていきたいと思います。(2008年1月)

2000年前半、中国は20年来の旱魃に見舞われた。写真は河北省楽城県における小麦畑への灌漑風景である(2000年5月21日撮影)。この水は近くの井戸から汲み上げた地下水であるが、地下水面は1950年代の数mから現在では約30mまで低下している。黄河の北側を襲った旱魃は、地下水の大量揚水を誘発し、河北省の諸都市では急速に地下水位は低下している。刑台市では1日に5mも地下水位が低下したそうである。一方で、管理を強化したため、黄河の断水日数は例年の半分におさえられている。人間の叡智は水問題を解決することができるのだろうか。そのときの研究者の役割は?