日本水文科学会2019年度学術大会会長講演

近藤講演資料

 日本水文科学会の設立は1987年ですので、すでに32年が経過したことになります。その前の水文学研究会の時代から数えると42年となります。この間、時代は昭和から平成を経て令和と移り変わりました。時代の精神が大きく変わったことと同時に、学術のあり方も、社会の状況も大きく変わりました。この変化の中で学会の運営も大きな変革を強いられています。
 研究の大部分を担う大学の研究者、特にシニアの研究者はこの間の間に研究のあり方が大きく変わってきたことを実感していると思います。それは1991年の大学大綱化から始まり、2003年の国立大学法人化を経て、学術のガバナンスがトップダウンのコントロールに変わってきたことに象徴されると思います。中期計画の作成と評価など最たるものです。何のための研究か、という観点が曖昧になり(論文のための研究?)、それが日本の研究力の低下につながっているのではないでしょうか。
 一方、世界はどう変わってきたか。私は榧根勇先生(筑波大学名誉教授)から1995年のIBGP SACⅣでこんな発言があったと伺ったその内容が強く印象に残っています。Science has become an operationl stage. No more funds for beauty. 1992年のリオサミットを経て、いよいよ科学は診断から治療へ、論理の美しさ(すなわち、論文)のためだけの予算は得られない、と解釈したのですが、私の研究者としての姿勢を大きく変えたフレーズでした。榧根(1996)1)にこの話が載っています。その後はリオ・アフター10を経て、リオ・アフター20で地球環境問題の解決を目指した新しい国際地球環境研究プログラムFuture Earth(FE)が提案され、2015年から実行フェーズに入ったことは周知の通りです。SDGsも2015年に国連から提案され、FEはSDGsを科学の側面から支えることが了承されています。まさに、1995年のフレーズが助走期間を経て実行段階に入ったということを表象しています。
 Future Earthを特徴付ける考え方が超学際(Transdisciplinarity)です。これは課題の発見、実践、そして目的の達成をステークホルダー(関与者)と一緒に取り組むという考え方です。超学際の概念は少し難しいのですが、Max-Neef(2005)2)がわかりやすく説明しています。それによると横軸の学際軸と直交する方向に文理融合軸があり、その頂点には哲学、倫理、価値が位置づけられています。環境問題や社会問題を解決するためには倫理は当然ですが、哲学や価値の領域に踏み込む必要があるのです。これは理工系の研究者にはなかなか受け入れがたいことかも知れませんが、社会系や計画系などの諸分野では普通に行われていることです。価値や哲学の共有ができないと研究者とステークホルダーが同じ方向を向き、問題解決のための協働ができないからです。この考え方の理解のためにはステークホルダーに関する理解が必要となります。重要なことはステークホルダーには階層性があるということです。真理の探究を目指し、学界の中で切磋琢磨する研究者のステークホルダーはパトロンとしての国、あるいは国際機関かも知れません。問題に対峙し、その解決を目指す研究者のステークホルダーは現場の当事者となるでしょう。
 ステークホルダーの階層性を認識すると、解くべき問題とは何か、という大きな課題が生じます。例えば、気候変動が人間社会に危機を招き、社会の持続可能性に懸念が生じる恐れがあるということは了承されていると思います。では、どうすれば良いかということに対しては、危機の原因である気候変動をなんとかしましょう、という考え方と、危機を特定し、その要因(それはひとつではありません)を取り除くことにより危機を回避しよう、という二つのアプローチがあります。この二つの立場はざっくりですが、理工系と人社系の立場と対応すると考えても良いでしょう。前者のステークホルダーは国や世界、後者のステークホルダーは現場の人といって良いかも知れません。ステークホルダーの認識によって、問題の解決のあり方が変わってきます。
 持続可能性はSDGsが発信している現在、世界共通の目標といえると思います。この持続可能性に関する議論では理工系は未来志向が強く、人社系は現在を重視するという態度がそのまま哲学の違いになって現れています。すなわち、より良い未来を想定して、そうなるために現在を変えようという、いわゆるバックキャスティングと、現在の問題を解決して、現在につながる未来を良くしようという二つの考え方になります。
 もちろん、どちらが正しいという訳ではありませんが、背後には“発展”に対する認識の違いがあるように思えます。それは、右肩上がりの社会を想定するか、定常状態の社会を想定するかという違いにつながります。前者は未来志向、後者は現実志向となりますが、未来志向が強すぎると現在が疎かになり、また現実志向が強いと様々な価値の中で葛藤が生じることになります。また、前者は都市的世界、後者は農村的社会への志向性を持ち、さらに、前者は資本主義、後者は地域経済に対する志向を有しているようにも思えます。
 このように未来社会に関する議論には二つの考え方が見えてきますが、それは、グローバルよりローカル、普遍性より個別性、モノよりココロ、といった志向性の違いとも関係しているように見えます。この違いが生じる理由は何でしょうか。そこにはリアリティーにどれだけ関わっているかということがあると思います。現実に対峙すると背後にある利害、対立、葛藤、といった様々な人間的側面に入り込んで真実を知らないと問題の理解さえおぼつかない。一方、未来を指向するとドリーム、夢を語りたくなります。最近公開された地球惑星科学の夢ロードマップ3)は右上がりの矢印に沿って様々な夢が語られています。そのように作り込んであるのですが、持続可能な社会は自ずからバックキャスティングにより達成するということになります。しかし、私は右肩上がりの矢印の背後に、永遠の発展を前提とする古いヨーロッパ思想の存在を感じてしまうのです。日本はすでに高度経済成長を経て定常社会とよべる状態に入りつつあります。定常社会ではバックキャスティングよりも現実の問題に向き合うことが未来につながると私は考えています。
 このような背景の元、日本水文科学会はどのような道を歩めば良いのでしょうか。それはリアリティーを重視し、目の前にある問題に対峙し、顔の見える人と対話し、解決を共有すること、そこに水文学の科学知を投入すること、すなわち超学際の実現だと考えています。もちろん、ドリーム、夢は大いに語って欲しいと思います。ただし、夢というのは実現に向けて戦略的に取り組んでいくものであり、妄想ではありません。夢を語る過程で現実に対する分析が不可欠になるのです。水文学が責任を持たなければならない問題はたくさんあり、それは目の前に存在しています。その解決をステークホルダー(もちろん、水文学者もその一部です)の間で共有し、超学際の手法で達成し、明るい未来につなげることが日本水文科学会の役割だと考えています。
 とはいえ、昨今の成果主義のなかで、未来を担う若手研究者が置かれた状況は極めて厳しいという現実があります。持続可能社会の構築という課題の中で若手が活躍するためには、研究に対する評価軸を変えていかなければならないと考えています。それは成果主義だけでなく、社会に対する役割を評価する貢献主義を取り入れることです。もちろん、明確な道筋はまだありません。学会は社会のために存在しますが、同時に会員、特に若手の研究者の未来のための存在でなければなりません。道はまだまだ厳しい状況ですが、日本水文科学会が“新しい社会への変革”に向けて先導する役割を果たせればと考えています。SDGsは“17 goals to transform our world”がその本質にあります。

1) 榧根勇(1996):地球温暖化論争、学術の動向、1(1)、53-54.
2) Max-Neef, M.A.(2005): Foundation of transdisciplinarity. Ecological Economics, 53, 5-16.
3) 日本地球惑星科学連合(2019):地球惑星科学分野の科学・夢ロードマップ(改定)、http://www.jpgu.org/2019roadmap/(2019年7月10日参照)