近藤講演資料

原子力災害における解決と諒解ー犠牲のシステムから関係性を尊重する共生社会へ

 福島県阿武隈高地において多くの人々に長期にわたり避難生活を強いた東電福島第一原発(以下、福一)の事故からすでに8年が経過した。避難解除により故郷に戻った人もいるが、家族が分断された人もいる。また、戻らない人、戻れない人、いつか戻りたい人、そして戻れなかった人がいる。福一事故を教訓とするためには近代文明のあり方、科学と社会の関係を考えなければならない。簡単な合意形成は困難かもしれないが、2030年のSDGs達成に向けたマイルストーンとしたい。
 放射線の被曝による直接的な健康影響については長期的な調査研究が進行しているところであり、ここでは触れない。避難解除された地域では空間線量率が高い場所も未だ存在するが、人々の暮らしはすでに始まっている。それは解決ではなく諒解であり、苦渋の選択であった。諒解の形成過程の理解は、原子力発電の恩恵を受けてきた首都圏に住む人々にとっても文明社会のあり方を見直すきっかけになるはずである。
 福一事故の後、数多くの科学者が福島の現場に入った。その成果は莫大な数の論文として纏められているが、その成果が被災地域にどのように実装されたかについては今後の課題であろう。ステークホルダーの階層性の中で、科学者が誰を、何をステークホルダーと認識したかにより答えは変わってくる。筆者は被災した住民をステークホルダーとして捉え、山地斜面における放射性物質沈着の空間的不均質性に重点を置いた調査を行ってきた。里山として機能してきた山林は山村の暮らしに不可欠な存在であるからである。3月15日の爆発で北西方向に斜面に沿って上昇したプルームは太平洋側斜面では谷底に放射性物質を多く沈着させたが、太平洋流域の分水界を越えると尾根部の沈着が多くなる。川俣町山木屋地区では福一に向いた南東向き斜面の上部で空間線量率が高い傾向にあり、また常緑樹林の空間線量率が高かった。山林内における空間線量率の分布はきわめて不均質であり、短い距離でも大きく変化したが、ある程度の予測は可能であった。文科省の航空機モニタリングによる小縮尺の空間線量率マップは福一周辺が広く一様に汚染されているイメージを国民に与えてしまったように思う。
 居住地周辺では除染作業により空間線量率は徐々に下がり、避難指示は順次解除されつつある。国による除染作業は経済的合理性の観点から批判もあるが、原子力災害を被った故郷で暮らすという諒解を形成するために必要な作業であったと考えている。旧避難地域の面積の大部分を占める山林は除染が行われていないが、放射性セシウムが有機質土壌に吸着された後の移動は緩慢であることは科学的成果としてわかっている。山地斜面における放射能モニタリングを継続し、ホットスポットが明らかになれば隔離や封じ込めによりある程度のコントロールは可能である。
 千葉大学チームは総合大学としての特徴を活かし、川俣町山木屋地区の住民と協働して放射能モニタリング、園芸、看護、計画等の幅広い分野における活動を事故直後から行っている。その経験から原子力災害の解決とは諒解の形成であるということを実感する。諒解するためには、科学的あるいは経済的合理性だけではなく、地域に対する共感、社会のあり方に関する理念の共有が必要である。これらは環境社会学で有用基準、共感基準、原則基準と呼ぶものに相当すると思われる。この中で理念(原則基準)は共有が難しい。福一は東電の発電所であり、首都圏の住民は大きな便益を得てきた。電気料金を支払うことにより、被災者との関係性が分断されたのであれば、それは資本主義の再考にもつながる重要な課題である。これまで日本が経験してきた公害や大事故を乗り越え、幸せを実現する社会を構築するためには、人および地域間の関係性を認識する習慣を持つことが必要である。原子力災害から見える日本の進む道は、犠牲のシステムから脱し、関係性を尊重する共生(ともいき)社会の構築である。

略歴
千葉大学卒業、筑波大学大学院修了(理学博士)。東京都立大学、筑波大学を経て、現在は千葉大学環境リモートセンシング研究センター教授

 学術の動向、2019年10月号