NPO水環境研究所20周年記念シンポジウム 2025.11.29
下総台地の地形形成と水循環
NPO水環境研究所は設立20周年を迎えました。これまでの歩みをふり返るとともに、谷津の水循環、生態系に関する講演を企画しました。谷津を語るときには谷津の形成史、谷津の多様性を念頭に置き、様々な谷津の個性についてお伝えしたいと思い、表記の講演を企画しました。
20周年シンポジウムプログラム(PDF)
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「下総台地の地形形成と水循環」は5分から30分くらいです。

講演資料(PDF)下総台地の地形形成と水循環 (ポップアップなし)


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・谷津に入るとなんとなくほっとします。自分の幼少期の原風景だからかも知れません。真っ平らな台地の上で暮らし、谷津の脇を歩いて小学校に通い、関東ローム層の斜面は遊び場でした。だから、大人になってもきれいな谷津をみると安心します。一方、荒れた谷津は寂しさを感じます。
・印旛沼流域を訪れる度に同じ感覚を共有できる方々もたくさんいることを実感します。でも、谷津にはいるときに、植物や動物だけでなく、地質や地形の成り立ちについても知ってほしいと思うのです。台地-谷津-低地の生態系や人の暮らしとの関わりも理解することができると思います。
・遠くから見ると平らな台地のスカイラインは約12万年前に現在の関東平野の範囲に広がっていた古東京湾の海底でした。これが下総台地のはじまりです。
・12万年前は約10万年の周期で繰り返されてきた氷期-間氷期サイクルにおけるひとつ前の間氷期です。現在にいたる12万年の間に、寒冷化に伴う海水準の低下と、その後の上昇、さらに気候変動に伴う植生や水循環のあり方の変化によって、台地の縁には河岸段丘、海岸段丘が形成されるとともに、台地面は穿たれて谷津が形成されました。
・現在、私たちが目にする下総台地は12万年の地史(地球の歴史)が刻まれたモニュメントといえます。
・左上の図は南極やグリーンランドの氷床に記録された地球の気温変動です。12万年前に暖かい時期があり、その後、10万年ほどは気温が低下します。これが(ヴュルム)氷期です。約2万年前頃から温暖化が始まり、急激に気温が上昇します。気温のピークは1万年前頃にあり、その後は低下して現在に至っています。この気温変動に伴い、寒冷期には海水準低下が起こりました。
・左下の図は古東京湾が最も拡大した約12万年前頃の現関東平野の様子です。房総半島南部は島になっており、古い岩石が露出する銚子地域を突端としてバリア島と呼ばれる島が連なっているのが見えます。松戸付近にも島がありました。
・12万年間の海水準変動にともなう地形面の形成は貝塚爽平先生によるダイアグラムが有名です。一時的な海水準の停滞によって、下末吉面(下総上位面、下位面)、武蔵野面(千葉面)が形成されています。詳しくは後ほど。
・海底が離水して陸地が現れるとすぐに表流水と地下水による侵食が始まります。地質プロセスが水循環の場を形成史、地形プロセスと水文プロセスは相互作用して、お互いが変わって行きます。
・詳しくは後で説明しますが、最終的に形成された谷津の役割は、平らな台地面(表流水による排水よりも、浸透が卓越する平坦面)に貯留された地下水を排水することです。
・谷津に向かう地下水の流れは“地下水流動系”の概念を理解すると見えるようになります。地下水流動系に関しては、ここを御覧ください。
・では、どのような地形が形成されたか。まずは、“地形面”から見ていきたいと思います。
・下総台地には上位から下位に向かって①下総上位面(下末吉面)、②下総下位面(下末吉面)、③千葉面(武蔵野面)、と呼ばれる平坦な地形面があります。括弧内に示した武蔵野台地における呼称が有名ですが、武蔵野台地(主に河の作用による扇状地)と下総台地(海の堆積物)では成因が異なりますので、時代の対照にのみ使いたいと思います。最下位は現世の沖積平野である低地や海岸平野と埋め立て地です。
・12万年前の古東京湾の最拡大期と10万年前頃の海水準の停滞期に下総上位面と下総下位面が形成されました。
・千葉面は武蔵野台地では武蔵野面に対比できますが、下総台地では複数の時代に形成された河岸段丘面として印旛沼流域や都川流域に認められます。
・それぞれの地形面の境界には斜面(坂)が存在し、これが水循環にも大きな影響を与えています。
・氷期の海水準低下期には下総台地は谷に穿たれましたが、その後の海水準上昇期には海水の侵入、河川による埋め立てが進み、低地(沖積低地)が形成されます。いわゆる溺れ谷と呼ばれる谷埋め型の低地です。
・調査は難しいのですが、地質学的な証拠も得られています。八千代市の新川(上部)や北印旛沼周辺(下部)では、台地を構成する海成の地層(下総層群)を彫り込んだ谷地形が埋積されていることが分かっています。
・ただし、谷埋め型の溺れ谷は谷津を形成する唯一のメカニズムではないことに注意してください。
・では、全ての谷津が谷埋め型(溺れ谷)か、というとそうではありません。谷津の上流部は台地の中に深く侵入していますが、縄文海進の時代に谷頭まで海水が来ていたかと考えると別のメカニズムがあることがわかるでしょう。
・舟底型の谷津の最上流部で基盤(下総層群)までの深さを調べると、谷底から2~3mの深さで、沖積層の基底も平らであることが分かります。このことは、谷が鉛直下方に侵食されたのではなく、側方に拡幅していることを示唆します。
・傾斜のある谷壁と平らな谷底の間では地下水面も傾斜が急に変わります。台地の地下水面は高く、谷底はほぼ地下水面と見なされるからです。この場合、地下水の流出は谷壁の基部に集中します。
・右下の図は多摩丘陵の谷津(東京では谷戸という)で観測された谷壁下部の地下水の動きです(正確には水理水頭の分布といえます)。地下水の流出は谷壁下部に集中し、降雨時には集中の強さが増します。
・すると、大雨時には谷壁下部における地下水の集中が強化され、谷壁の支持力が失われ、崩壊が発生することによって谷壁は後退します。地下水の集中が一番強くなるのは谷頭で、谷頭は上流に向かって伸びていきます(谷頭侵食)。これが上流部における谷津の形成メカニズムです。
・下総台地の谷津は平らな低地と台地の平坦面、両者を境する谷壁斜面から成り立っています。その形状から舟底型の谷津と呼ばれます。
・谷津の成因としては、氷期に海水準が下がり、台地に谷が穿たれるが、後氷期の海水準上昇期に埋め立てられて平らな谷底面ができると一般には考えられています。
・しかし、谷津の上流は台地に深く切り込み、その谷頭まで海水が来ていたとは考えられません。ここで、谷津は台地内部に寛容された地下水を排水すること、と考えてみましょう。
・谷底はほぼ地下水面に相当します。台地内では地下水面は谷底より高く、台地から低地に向かう地下水の流れが存在します。地下水の流出が最も強くなる場所は、台地と低地の境界の谷壁斜面下部です。それは、ここで地下水面の勾配が急に緩くなるからです。
・時々起こる大雨時には台地から低地に流出する地下水の流れ(フラックスといいます)が強くなり、崩壊(崖崩れ)を生じさせます。
・一度、崩壊が生じて窪地ができると、ますます地下水が集まりやすくなり、谷が形成され、谷頭方向に伸長していきます(谷頭侵食)。これが側方侵食型の谷津です。
・昔々、ポスドク(筑波大学水理実験センター準研究員)の時に、土槽を使った降雨実験を行いました。
・毛管水縁近傍の,急激な流出発生に関する実験だったのですが、あるとき、降雨装置を止め忘れて帰宅してしまいました。
・翌朝出勤して発見したのが、新たに形成された“谷津”です。側方侵食あるいは谷頭侵食による谷津の生成をうまく表しています。
・谷津の形成過程についてお話ししましたが、台地の平坦面が形成されると、その上に、水循環と地形変化の相互作用によって微地形、小地形が形成されていきます。
・この写真は桑納川下流の麦丸から南南西方向を鳥瞰した写真です。
・下総上位面、下総下位面、千葉面と桑納川の沖積低地を確認することができます。
・下総上位面と下総下位面の境界は坂になっていることが地理院地図の断面作成機能を使うと分かります。
・この写真は富里市南部、高崎川上流域です。遠くに筑波山が見えます。
・どこまでも続く広大な台地面が見えますが、ここには様々な小地形、微地形が存在します。
・どんな地形があるでしょうか。それは地形分類図あるいは地形学図と呼ばれる主題図を参照すると分かります。
・日本では1970年頃から国土庁(現在は国土交通省の一部門)、国土地理院などによって土地条件図、洪水地形分類図、地形分類図とよばれる主題図が作成されてきました。世界の中でも先進的な取り組みといえます。
・それらの主題図は「地理院地図」や「ハザードマップポータルサイト-重ねるハザードマップ」のWEB-GIS(地理情報システム)で閲覧することができます。
・地理院地図を起動しましょう。
・左上のメニューから地形分類(自然地形)を選択し、表示させましょう。画面は前ページの写真の範囲に相当します。
・画面上でクリックすると、[台地・段丘]、[凹地・浅い谷]、[山地斜面等]、[氾濫平野・海岸平野]、[崖・段丘崖]、その他の地形名称が分かります。
・分類項目名は地域ごとに最適化されていないものもありますが、地域ごとに読み替えてください。例えば、[山地斜面等]、[崖・段丘崖]は崖端斜面、[氾濫平野・海岸平野]は谷津の谷底面と同じです。
・だいたい理解できると思いますが、[凹地・浅い谷]はわかりにくいかも知れません。そこには台地形成の歴史が記録されています。
・地理院地図地形分類図で「浅い谷」の特徴を確認してみましょう。「凹地」については後述します。
・浅い谷は谷津(氾濫平野・海岸平野)の上流側に山地斜面等(谷壁斜面)を挟んで連続していることが分かります。このことは浅い谷が谷津の形成過程とも関連していることを示唆します。
・仮説の一つは、現在の台地面である12万年前の古東京湾の海底の陸化(離水といいます)が始まる初期の段階で形成された谷という説です。
・谷津の水文学的機能は地下水を排水することであり、地下水の流出、すなわち湧水が形成されると地下水の集中が促進され、上流側に谷の伸長が始まります(谷頭侵食といいます)。
・浅い谷は“古い谷”で新しい谷である谷津が“古い谷”の流路方向に伸長していると考えると、浅い谷と谷津の関係がよく理解できると思います。
・その時、古東京湾がまだ水域や湿地だったときに堆積した火山灰である関東ローム層(主に箱根火山から飛来した下末吉ローム層)が粘土化した常総粘土層の存在も大いに影響していると考えられます。
・谷津の発達は地すべり地帯における地形発達と類似性があります。左の図は千葉県南部の地すべり地帯における谷の生成の説明です(南部林業事務所ホームページを参照してください)。
・まず浅い谷が形成され、地下水を集水するようになると下流側から谷が伸長してきます。説明では“ボラ”と呼ばれる小陥没地形が重要な働きをしますが、後で説明する凹地の形成で重要な働きをします。
・砂浜海岸では潮が退いた後に谷津とそっくりな微地形が形成されます。スケール、時間は異なりますが、谷津の形成をイメージすることができるのではないでしょうか。
・地理院地図地形分類では台地の上に閉じた“凹地”がたくさんあることがわかります。
・昔から“ダイダラボッチの足跡”として親しまれてきました。台地を走っていると冠水注意の看板を見かけることがありますが、そこが凹地かもしれません。
・成因は十分明らかになっていませんが、地下侵食の可能性を推したいと思います。
・右上の写真の千葉市高田町の凹地では水が吸い込まれる穴がありました。地下の空洞につながっているかも知れません。
・古い研究ですが、佐倉市岩富の凹地では溜まった水が付近の崖端から湧出していたそうです。
・多摩丘陵では人が入れるほどの穴(ボラ)が連続している状況が確認されています。下総台地の谷津の谷頭でもよく見かけます。
・約12万年前の前間氷期から約2万年前の最終氷期最寒冷期にかけて海水準は変動を繰り返しながら低下し、その後、現間氷期に向けて一気に上昇します。
・その過程で海岸沿いや河川沿いに段丘が形成されますが、段丘は昔の海底面あるいは河床面です。上流に形成されていた谷は集水できなくなり、化石谷(無水谷)になります。
・地理院地図で陰影起伏図を表示して観察すると、化石谷化したかつての谷津を見つけることができます。
・なお、代表的な段丘面は下総上位面(約12万年前)、下総下位面(約10万年前)ですが、その下位にある千葉段丘は異なる時代も段丘の総称です。
・谷津の谷頭を歩くと、谷底に段地形があり、その下端に湧水をみつけることも多いと思います。その上流側の谷底は古い時代の谷底ということになります。
・谷津はその場所に応じた様々な歴史を持ち、形状にも個性を生じます。
・代表的な三つのタイプを図で示しました。
・谷津にも数万年の水循環と地形変化の相互作用の歴史があることを思うと楽しくなりますね。
・水文地形学という分野で研究が進んでいますが、水循環は地形変化の重要な営力(地形を形成する力)なのです。その変化は現在も進行中で、時には崩壊(崖崩れ)という形で現れ、災害になることもあります。
・地形変化の場には生態系、人間の作用もあり、すべてが関係し合って現在の谷津を形成しています。
・地下水は目で見ることができないため、頭で考えてしまうことも多いように思います。その際、地下水流動の基礎的考え方を持っていると景観を見て地下水のあり方を想像することができるようになります。
・地下水の流動を決めるのはポテンシャル(水理水頭)であり、地下水面の形状(地下水面の高さ)が地下水を駆動するポテンシャルを与えます。
・日本のような湿潤地域では地下水面への涵養量のほうが地下水面から発する流動量より多いので、盛り上がった地形における地下水面は谷(水流)よりも高くなっています。
・地下水(帯水層)の表層部では凸部で涵養された地下水の大半は、直近の谷(凹部)に流出します(局地地下水流動系)。一部の地下水は地域の大局的な地形に従って高標高部から地域の最低所に向かう広がりは大きいがゆっくり流れる地下水の流れ(地域地下水流動系)に従って流動します。
・局地~(中間)~地域地下水流動系は階層構造を持ち、涵養された地下水のほとんどは局地地下水流動系を通過して流出します。
・尾根(台地)~谷津のひとつの地形ユニットはひとつの局地地下水流動系が対応します。地下水流動系の概念を知ると、地形から地域の地下水のあり方を理解することができるでしょう。
・水循環は台地への降水~浸透~降下浸透~地下水流動~谷津への流出~河川~印旛沼とつながる一連の過程です。
・台地の土地利用変化、里山保全、谷津田の営みによって水循環を強化させることができます。
・地下水の涵養量を増加させ、里山保全によって樹木や竹林からの蒸散量を抑制すると、低地の地下水面は上昇し、河川の流量は増加します。清浄な水が印旛沼に流入すること、水循環も途上で水質浄化機能が働くこと、などによって印旛沼流域の水環境は向上します。
・印旛沼流域で活動するみなさんの営みが水循環の健全化と関係しているのです。
・印旛沼流域は多くの人々の“ふるさと”になっています。人と自然と社会の関係性を良好に保つことによって、原初の自然とは異なりますが、三者が調和した里地、里山、里沼を形成することができます。
・それが環境(人と自然と社会が関係しあう周り)です。
・そこには自然の数万年(氷期・間氷期)から数百万年(地層の堆積と地形変化)の営みも関わっていることを忘れないでほしいと思います。