隠者のつぶやき

定年から早一年。この間、定年、定年と騒ぎすぎたようだ。控えるようにしようと思うが、これからは老化と気力がキーワードになるだろう。どうも体調がよろしくない。やりたいことはたくさんあり、地道に実行しているのだが、時々気力が萎える時がある。これはいかん、と心を奮い立たせてその都度復活しているのだが、不安になるときもある。そういうときは老人が徒党を組んで、互いに励まし合いながら生きていくのがよろしかろう。実際に地域の活動家は元気な老人が多いのだ。勝手ながら元気をお裾分けしてもらうことにする。若者ともうまくやらにゃならぬ。若者の考え方を知り、時間と空間の中に世代の考え方を位置づけて理解したい。それができる歳になったということじゃ。(2024年4月1日)

新しい年が始まりました。今年は職業を聞かれたら、アルバイト、あるは年金生活者となりましょうか。それとも、隠者と答えましょうか。非生産者と呼ばれるかも知れません。それには抗っていかなくてはならないと思いますが、私も老いて66歳になります。世間ではまだまだ若いと言われるでしょうが、からだもこころも弱っています。それじゃいかんという思いは頭の中にはあるのですが、こころとからだがついていかない状態です。なんとか乗り越えたいと思いますが、いろいろ企みながら暮らしていくつもりです。もう少しはがんばれると思います。(2024年1月1日)

2023年のつぶやき


国立大の未来

朝日新聞が国立大学法人化20年に際して全国の86の国立大学の学長に尋ねたという(朝日朝刊一面)。ヘッドラインは「学長7割『悪い方向進んだ』」。確かに自分もそう思うが、制度自体と運用が悪いということに加えて、日本人全体として学術の価値を認め、それを深める力が失われていることも背景にあるように思う。構造改革の流れの中で文部科学行政におけるヒエラルキーは強化されたが、上位に学術を俯瞰することができる人材が現れなかった。上位が単なるエリートになったからだ。研究者も評価システムの中でエリート化し、エリート同士で運営する文部科学行政が蛸壺化してしまった。またか、と思うのがこのコメント。「研究や教育は、結果として何が花開くのか予想できない。それなのに国や社会は『選択と集中』を、ただ一つの解として押しつけている」と。これは基礎科学と課題解決型研究のどちらの担い手か、でやるべきことが変わってくる。前者ならば、自らの研究・教育の価値をアカデミアの外に向けて発信し、社会の支持を得る努力をしたか。後者ならばファンディングエージェンシー、すなわち国に熱意をもって働きかけをしたか。現代科学のパトロンは国であり、税金を負担する国民である。論文を書けば自分ではない誰かが、いつか社会の役に立てるわけではない。何時までも経済成長の慣性に乗っかっていてはあかんのだ。現状は厳しいが、ほとんどの大学人は“しょうがねぇなぁ”と、じっと耐えているのだろう。それが日本人の特性だ。物理学者の佐藤文隆氏は著書「職業としての科学」のなかでこう述べている。「制度科学を社会から隔離して育成するプランク路線の行き着く果ては、専門家と国民の知的な関心の乖離なのである」と。まさに今がその状況なのだ。逆境の中でも、理念を持って運営している国立大もあるようだ。さて、国立大の未来はどうなるか。見守りながら、オルタナティブ・サイエンスへの道を我は進むのだ。(2024年4月8日)

自然が子どもを強くする

この副題に惹かれて河合雅雄「森に還ろう」(小学館)を読んだ。実は河合隼雄と間違えて借りたのだが、お二人は兄弟だった。河合雅雄氏が猿の研究家だったことは知っていたが、その多才ぶりには驚いた。図らずも凄まじい人生を知ることができた。その精神力に感嘆するとともに、人間の身体というのは結構強いものだと改めて思う。おそらく心の強さが身体も強くしたのだろう。自然が子どもを強くするというのは雅雄氏自身の体験と、子どもたちを熱帯雨林に連れて行った結果から得たものだ。ではなぜ自然が子どもを強くするのか。それは自然の中に入ることによって日常の暮らしとは別の世界があることに気付くからではないか。それは子どもの意識世界を拡張し、自分を俯瞰することができるようになる。それが強さにつながる。さらに、子どもたちが何かを採取する、あるいは野菜や米を作るという体験も子どもを強くするのではないだろうか。自分の命を維持するものを自分で作るという体験は子どもに自信を与えるのではないだろうか。都会では命を維持するためのものは貨幣を通じて獲得する。しかし、貨幣の獲得は現代社会では常に危機をはらみ、不安の種になる。自分の命を維持するものを自分で作ることができるという体験は自信につながるはずだ。子どもたちに自然を体験させる活動をたくさん知っている。強い子どもも確実に育っている。それが未来の安心につながる。(2024年4月3日)

未来を創造するということ

桜はまだだというのに、今日は暑かった。腕と顔が真っ赤になった。佐倉城の門跡で開催された里山キッチンキャラバンに参加。ユーカリ木こり倶楽部部員として餅焼き、竹切り、火の番にはげんだ。 気の置けない人々との共同作業はこころが和む。それは地域における暮らしに対する思いを共有しているという感覚が安心感につながっているからだと思う。これから迎える未来について同じ方向をみんなで見つめているという感覚が心地よい。さらに、地域における営みを通じて人の輪が広がっていくということが痛快である。難しい未来のあり方なんて話はしないが、なんとなく同じものを心に描いている人々がいるという感覚が、実は未来を創っていくのだろう。(2024年3月31日)

組織風土「変えなかったのは怠慢」

朝日朝刊の見出しから。宝塚歌劇団のパワハラ事件の件で、親会社の阪急阪神HDはこう述べたそうだ。「こうした組織風土を時代に合わせて変えてこなかったというのは怠慢というそしりを受けても甘んじて受け止める」。高度成長後の少子高齢化、低成長の時代は価値観が多様化する時代でもある。自らの価値観がどのような時代背景を経て形成されたのか、その価値観が全世代、社会の中でどのように位置づけられるのか、見極めて、自分の価値観を修正していかなければあかん。その上で世代間の協調を図っていく必要がある。とはいえ、自分と異なる世代の考え方はなかなかわからない。それでも、アンテナを張り続けて理解する努力をしなきゃあかん時代なのだ。それが未来社会の創造へとつながる。まず、世の中全体を俯瞰する位置に自己を置き、意識世界を広げる努力をすることが大切じゃ。そうすると時代遅れの部分が見えてくる。大学運営もそうかもしれん。大学内部で意識の分断が生じているのではないか。先日の千葉大学学長選のゴタゴタもそうだ。文科省に寄り添うことより、日本の学術と高等教育をどうするか、理念を持つことが大切なのだが、どうやら理念も意識世界の大きさによって広がりが変わってくるようだ。大きな意識世界を持ちたい。(2024年3月29日)

戦争のリアリティー

死んだ父は戦時中の話をほとんどしなかった。 羽田でグラマンに機銃掃射された話、祖父の火葬では燃料が足りず生焼けの片足が投げ出されたという話、これだけだ。先日借りて読んだ吉村昭の対談集「時代の声、史料の声」の中に戦時中の東京の話があり、ひとつ年下の父と共通する記憶があるはずだと思い「東京の戦争」を借りたが、これも一気に読んでしまった。吉村昭や父の世代は学徒出陣と疎開の狭間で、戦時中の東京を経験した世代だ。そこに書かれていたことは想像通りの戦時下の東京のリアリティーであった。辛い経験をした方々が往時の状況を書き留めてくれているから、経験はなくともリアリティーを想像することができる。以前読んだ「虜人日記」(小松真一)、「日本はなぜ敗れるのか-敗因21ヵ条」(山本七平)あるいは「総員玉砕せよ!」(水木しげる)からも戦場のリアリティーを知ることができる。ウクライナやガザからの報道も連日ある。だから、どうするのか。ここを考えなければあかん。だから、武装するというのはあまりにも直截、浅薄な考え方だ。そこには思想がなくてはならない。敗因21ヵ条の中にもあるではないか。「十六、思想的に徹底したものがなかったこと」。それは文化とも関係する。「十八、日本文化の確立なき為」、「二〇、日本文化に普遍性なき為」。これは明治維新で日本古来の文化、伝統を壊してしまったためで、大乗仏教が根付いた日本には思想には徹底したものはあったのだ。戦争を回避するためにはリアリティーを知り、思想を確立させることだ。(2024年3月25日)

熱きシニアたち

図書館で城山三郎「人生余熱あり」をみつけ、一気に読了。世の中には熱きシニアたちがたくさんいる。古の聖たちもそうじゃが、いつの時代にも熱き老人がいる。特に千葉県出身、天保元年生まれの関寛斎。70歳を過ぎて北海道開拓に携わり、最後は自殺して果てる。医師としてめざましい働きをして、老後は安穏として過ごすこともできたはず。北海道行きの前には掘立小屋で蓆生活をして、身体を極貧の生活に慣らす。日本人には利他の精神が身についているのだろう。現代でも地上の星はたくさんいるはずじゃ。なんとなく感じることができる。では、自分は...。安穏とした暮らしに慣れてしまうと、一歩を踏み出すことはなかなかできん。豊かさを捨てることはできんのじゃ。それが自分のこころを蝕む。豊かさが悪いのじゃ。共貧のシステム(栗原康)で運営される社会があれば、人は聖になれる。悩んで、悩んで涅槃にいたることになるのだろう。(2024年3月24日)

教育の危機、日本の危機

これはもう取り返しがつかないほどの危機的状況にあるのではないか。朝日朝刊「社会季評」で東畑開人氏が「非正規雇用に満ちた学校現場 消えゆく 未来育む大人の近未来」と題して学校の先生方の近未来について憂いている。そして、それは子どもたちの未来にも不利益をもたらすだろう。子に教え、育むのは大人の役割だ。子どもを育てる大人の心は安定していなければあかんのだ。このことが私の中で現実感を帯びたのは、ある小学校教諭OBから若手の教諭の力が落ちているという話を聞いたときだ。それには様々な事情があるのだが、そんな現場の状況はなかなか上層には伝わりにくい。トップダウンが強く、上層がエリート志向に傾きがちな世の中ではなおさらである。教育を建て直さなければあかん。でも、そんなん難しすぎる、しょうがないやんけ、という思いもよぎる。とはいえ、ほっといたら日本が危うい。幸い環境学習については世の中との若干のつながりもある。子どもの未来を育む活動もいくつか知っている。まずは草の根の活動に力を注ぎたいものだ。(2024年3月20日)

語ることと行動すること

朝日朝刊、編集委員の原さんによる「小説『人口戦略法案』」を取り上げた多事奏論から。フランスの人口学者であるエマニュエル・トッド氏がこんな話をしたそうだ。「日本では人口動態は語るためのテーマであって行動するためのテーマではないのだ」。日本の人口減を心配したトッドさんの気付きは鋭い。ここで人口動態を環境問題や災害と置き換えることも可能ではないか。もちろん全ての日本人がそうであるわけではないが、日本にはやるべきことをやるべきときにやらないという性癖がありそうだ。今日はあるNPOの6年間のプロジェクトのまとめの公開フォーラムに参加してきた。そのテーマは「SDGs・ESDをより広げ、持続可能な社会づくりに向けて実行しましょう」というもの。予算をとって実施した事業なので、評価も気になるところだ。そこで、自分が評価者だったらS評価にしますと発言した。それは、世界はひとや地域が集まって押し合いへし合いしているもの、だからひとや地域が良くなれば世界が良くなるという世界観、社会観に基づいている。ひとが結びついて、経験を共有できたことの価値は巨大で、社会を変える力を持つ。一方、世間の評価では進歩、発展を基調として、イノベーションで問題を解決する、という方向性が高評価を得がちだ。それも地球はひとつ、普遍的な真理がわかり、合理的に行動すれば問題は解決できるという世界観、社会観に基づいたもの。ESDの目的は様々な世界観、社会観を意識することができるというところにあると思う。拠って立つところの思想を打ち出し、成果を誇ってくださいという発言だった。SDGsの目的は持続可能な社会の実現であるが、それは草の根の連携、協働、連帯から生まれるのではないか。その信念が世界を変える。(2024年3月9日)

老いるということ

今朝の朝日朝刊「折々のことば」は旨にしみる。「過去の古傷とともに生きる生き方を身につけるのが、老いるということだ」。古傷から受けるダメージから自らを立て直すことに日々苦労している。でも、なかなか立ち直れない。解脱すれば、と思うが、過去の聖たちの生き方をみると、まず全てを捨て去る必要があるようだ。その上で、ひと、自然、社会と新たな関係性を結び直したのが聖ではないか。それもなかなか難しい。弱者として生きることも老いの人生かもしれない。(2024年3月8日)

復興の本質

今日の朝日朝刊17面オピニオン欄のキーワードは復興。明治大学の飯田泰之さんのこの記述はメモしておきたい。「私も含め、多様な集落のそれぞれの現状すべてについて、肌感覚で理解できる人はいません。この状況を自覚した上で、思考を進める必要があります」。現場に身を沈めて状況を感じることによってわかってくるものがあるのだ。大阪大学の渥美公秀さんも言う。「発展志向の都会の論理で物事を勝手に決めないということに尽きます」。「地域の消滅や限界を強調される方は、現場を本当に歩かれたのでしょうか」。まずは現場、現場、現場なのだ。同じ面の福島季評で安東量子さんはこう言う。「『被災者』になるというのは、難儀だ」と。「ここに住むのに理由はない」のだ。外からの視座による“応援”にさらされ、模範解答を繰り返す。「そもそも復興って?」が量子さんの問いかけ。都市的世界と農的世界の意識世界の乖離を感じる。二つの世界を包摂させることは難しい。それは、それぞれに安寧な暮らしがあるから。その暮らしの外側は見えにくい。どうすれば良いか。量子さんは言う。「これか長く続く復興のプロセスが、この時代に即し、かつ、土地に根ざしたものになることを心からお祈りいたします」と。土地と人の関係を認識することが大切だ。都市的世界では人と自然が分断されてしまった。この分断を修復することが復興の始まりだ。また、量子さんが言う「時代に即し」という点が重要だろう。時代は変わるのだ。そのことを認識しなければあかん。(2024年3月7日)

世界観の多義性

未来を創造するためにはしっかりとした世界観を持つことが大切だと思っている。地球スケールで、この世の中の有り様を理解すること、すなわち世界全体を俯瞰する視点と視野、視座を持つことが大切だという意味なのであるが、注意する必要がありそうだ。朝日朝刊のオピニオン欄「ロシアの戦争観」の中で現代史家の大木毅さんはこう述べている。ちょっと長いが引用しておく。「『世界観』は、ドイツ語で言う『ヴェルトアンシャウウング』で、第1次世界大戦ごろからドイツで一般的に使われるようになりました。『世界をどう認識するか、その認識に立てば世界はどうあるべきか』を構想する、イデオロギーよりも強い言葉です。ナチスドイツはこの言葉が好きで、その世界認識の根幹は『人種』です。ヒトラーはその独ソ戦について、劣等人種スラブ人と、彼らが奉じる共産主義を撲滅するための戦いである、と演説で述べました」。「一方、侵攻されたソ連は、ファシスト侵略者を根絶やしにしろと国民の愛国心に訴え、それを共産主義に結びつけました。その世界観の基準は『階級』で、戦争が進むにつれ、ドイツ軍の残虐行為への報告が無制限にエスカレートした。敵対する世界観の激突です」。これを「世界観戦争」というのだそうだが、 この場合の世界観は地球全体を俯瞰したものではなく、ある特定の立場をよりどころとする狭い世界観と言って良いのではないか。アジア、中でも仏教では「三千大千世界」というように、あらゆる場所にあらゆるスケールの様々な宇宙(世界と言っても良いと思う)が存在すると考える。悟りとは様々な宇宙を俯瞰することができるということでもある。だから、仏教思想を意識の深部に持つ人は、様々な世界観の存在を受容することができる。対立する世界観とは一神教における異教徒への敵対と根は同じだと思う。様々な世界観を俯瞰し、違いを認めることができる態度こそ日本が世界に対して発信できる平和への道なのではないか。日本は唯一大乗仏教が根付いた国なのだ。ただし、世界に向けて発信する際には世界観についても多義性を理解して、きちんと説明する必要があるということだ。(2024年3月6日)

抗うことと受け入れること

良寛さま(“さま”をつけたいので)の和歌や俳句はほっこりするので大好きなのだが、深読みすると仏の教えが隠されているという。良寛さまはいつも道元の正法眼蔵を傍らに置いていた。良寛さまの和歌、俳句には真理が隠されており、その源は正法眼蔵にあった。良寛さまの和歌、俳句はほっこりだけではなく、深い意味があったのだ。「立松和平が読む 良寛さんの和歌・俳句」(二玄社)から。立松和平の遺作のひとつである。 今、能登半島地震発生から2ヶ月を経たが、まだまだ先行きを見通せない方々がたくさんいる。東日本大震災始め、頻発する災害に打ちのめされて暮らしを立て直すことができない人々がたくさんいるに違いない。なんとかならんものかと思うが、何もできずおろおろするだけのでくの坊である。良寛さまの晩年、三条地震の後に読んだ和歌がある。「うちつけに死なば死なずて長(ながら)へてかかるうき目を見るがわびしさ」。亡くなる2年前である。三条地震からひと月ほどして支援者の山田杜皐(とこう)にあてた手紙には次の文章がある。
しかし災難に遭う時節には災難に遭うが良く候。死ぬ時節には死ぬが良く候。これはこれ、災難を逃るる妙法にて候。かしこ
このとき良寛さまは自分の死期を感じていたと立松和平はこの文章から感じたそうだ。生きとし生けるものは必ず死ぬ。無常ということだが、立松はあるお坊さんの言葉を本書の中に書き残している。「無常とは闘うものではありません。受け入れるものです」。 この言葉にははっとさせられる。災害は教育課題として大学で講じてきたが、底流には災害と闘う、抗うという感覚があったのではないか。一方、災いを受け入れるという態度もずっとこころの奥底にはあったが押さえてきた。被災した方々を無常といって突き放すような気がしたからであるが、この頃はそれでも良いのではないかと思っている。江戸時代には人は自然(じねん)として自然(しぜん)とともに暮らす共同体があった。共同体こそふるさとであり、そこで災害を受け入れるとともに、災害に備え、安心して暮らすための仕組みであった。明治以降、人と自然(nature)は切り離され、共同体も弱体化してしまった。それが人を弱くしたのだと思う。災害が頻発する今こそ、より広い意味の共同体を創り上げる時なのではないか。そうすれば災害を受け流すことができる。地域のひとは存外強いものなのだ。今は情報社会となり、災害のニュースは世間を駆け回る。その時、災害の外側にいる者はまず被災者、被災地を思うこと、できる範囲で援助の手を差し伸べることが大切な時代となった。多くの人々がそのことを実感しているように思う。共同体も階層構造をもつということだ。(2024年3月5日)

岸辺のアルバム

1974年の多摩川水害は脚本家の故山田太一のドラマ「岸辺のアルバム」のモチーフになった災害である。現役時代は災害に関する講義で多摩川水害を取り上げ、災害をわがこと化するために、写真を見ながら“家が流されて家族のアルバムが失われたんだよ”と説明していたが、大間違いだった。家が流されそうになった時にお母さんが「アルバムだけは!」と思ったという話だそうだ。故山田太一の対談集「光と影を映す」(PHP研究所)から。東日本大震災後に瓦礫の中からアルバムを取り戻す話が印象に残っていたからなのだが、震災前は故高橋裕先生の回想による科学技術と社会の関係に関する題材として用いていた(「多摩川水害訴訟の教訓」、東急環境財団)。災害の原因が河川管理者にあるとされた歴史的な訴訟であるが、技術者の世界にもドラマがあった。河川管理者と家族、ふたつのドラマが多摩川水害から生まれた。ドラマは事実ではないかもしれないが、真実を想像して表現したものだ。人の人生、人の心はわからない。因縁もわからない。だから想像するしかない。でも感性があれば、真実に迫ることはできるのだろう。自分はドラマはほとんど見ないが、それは現役時代に心の余裕がなかったから。ドラマはもっとみなきゃあかんなぁ、と思う。定年を迎え、ゆとりができるかと思ったら、まだまだいろいろなことに追われている。はやく捨て去って、楽にならなければあかん。(2024年2月26日)

悲しみは後から

星になったくろみさんをほめてしまったが、落ち着いて思い返すと悪さもしていたなぁ。あるとき台所へ忍び込んでゴミやら何やら食い散らかして、すごいことになっっていた。以後、くろみさんのスカベンジャーの行いをカラス活動と呼ぶようになった。カラスに荒らされたゴミ集積場のような状況だったから。女子の鞄を漁ってチョコレートを食べてしまったこともあった。窓際へのルート開拓で、カーテンに穴を空けたこともあった。ワルだったけれど、まあ、評価とはそんなもの。でもワルがまたかわいかった。悲しみは後からやってくる。(2024年2月25日)

妙好犬

どうも最近調子が悪い。なかなか解脱できないのだが、うちのくろみさんはとっくの昔に解脱していた。そんな彼女は昨晩涅槃に入った。やるべきことをわきまえ、文句は言わず、粛々と生きてきた。客人が来ると真っ先に飛んでいって、前線で警戒任務にあたった。縁側警備隊員として庭先の警戒も怠りなかった。病気をして身体は弱ったが、精神は清浄かつ強靱だった。時々お叱りもいただいた。享年17歳。もう少しで18歳の大台に乗るところだったが、チワワの平均寿命はとうに超えている。長生きしてほしかったが、ようやく生の苦しみから解放されたのだ。ありがとう、といいたい。ふと浅原才一を思い出した。鈴木大拙一押しの「妙好人」が浅原才一。妙好人とは浄土系で聖者的人間を蓮の花(妙好華)になぞらえて読んだことば。天真爛漫、自然法爾に生きた浅原才一は妙好人だという。とすると、くろみさんは「妙好犬」といえるのではないか。犬の生き様から多くを学んだ。次は人間道に転生してほしい。(2024年2月22日)

権力の機能不全

千葉大学の学長選考における意向調査で2位の候補が選任されたことに対し、人文科学研究院教授会は、学長選考・監察会議(監察?)の議長宛に質問書を提出したとのこと(朝日朝刊)。1位の候補が人文科学研究院所属とのことで、政府の科学技術による課題解決、開発型研究重視の政策の中で、何となく事情は察することができる。人社系では文科省の理工系重視の指令に対応できないということか。背景には千葉大学の経営陣のエリート志向があるように思うが、それは政府の新自由主義的政策の中で強化された文科省、大学、部局、教員のヒエラルキーの中で形成されてきたものだ。文科省が大学に対する支配を強める中で形成されてきた精神的習慣なので、エリートといっても文科省村の中におけるエリートに過ぎない。その精神的習慣は社会全体を俯瞰し、歴史を振り返るなかで形成されてきたものではないので、だんだん蛸壺化してくる。千葉大学の学長選考・監察会議は大学を取り巻く、より広いコンテクストを背景にして、なぜ意向調査の順位を変えなければならないのかを、大学経営の基本的な考え方に基づき、説明してもよかったと思うよ。とはいえ、そうすると文科省という権力にたてつくことになるという意識があったのかもしれない。経営陣の意志として基礎科学、課題解決型科学、問題解決型科学の中で、千葉大学は国と一体となり、課題解決型科学をめざす、と言い切ってもよかったのではないか(私は3者の融合に大学の任務があると思うが)。そうすれば、そこから対話を始めることができる。ひょっとしたら対話を通じて社会を味方につけることもできるかもしれない。でも、そうはしなかった。思想や哲学が不在になると、権力は権威を伴わなくなる。そして支配・被支配という機能不全に陥る。大学や学術のあり方、未来についてアカデミアと社会の間で対話を行うことができれば、大学のあり方も変えることができると思うのだがなぁ。(2024年2月3日)

高齢うつ

本棚にふと目をやると「還暦からの人生戦略」(佐藤優著)がアピールしているようだ。手に取り、目次をめくると「高齢うつ」という言葉が目に飛び込んでくる。その章を拾い読みし、厚労省の「高齢者うつについて」というページを知る。さっそく、そこにある簡易抑うつ症状尺度(QIDS-J)をチェックすると「中程度」となる。医者に行った方がよいレベルだ。確かにその通り。最近の自分はおかしい。この本を書った当時は「高齢うつ」に目が留まることはなかった。おかしくなってきたのは還暦以降だ。定年以降の計画はたくさんあり、それらは確実に実行しているのだが、なんだか充実せず、心から楽しめなくなっているのだ。定年前後というのは誰でもこうなるのだろうか。この本のカバーに書いてある「教養は孤独を跳ね返す武器になる」は大いに賛同し、いろいろな本を読んで、自分を見つめてきた。だから自分の状態の要因は頭ではわかっているのだが、心がついて行かない。人生も下り坂のフェーズに入っているので、こんな調子で死ぬまで生きていくのだろうな。(2024年2月1日)

偉そうなことを言うな

山折哲雄「いま、こころを育むとは 本当の豊かさを求めて」(小学館101新書)を読み始めたところで、この言葉に出会う。山折氏は"こころを育むとは"というテーマについて考えたり、話したりするときに 、この声が鳴り響くのだそうだ。それは、"みずから、どれだけやっているのか、実践しているのか"、という声だとのこと。私の場合は、つい格好良いことを言ってしまった後に、"偉そうに"という声が天から降りてくる。若い頃はそんな自分に満足する時もあった。でも、だんだん恥ずかしくなってきた。実践がなければ"科学の権威者"(science arbiter)だ。だから、定年後はできる限り実践を心がけたいと思った。"偉そうに"という声など気にせず実践することができるようになったら、きっと解脱だ。(2024年1月28日)

会車定離

8年間乗ったホンダ・シャトルとお別れ。シャトルはラゲッジスペースがクラス最大で、たくさん積めるところが気に入っていた。コンパクトで運転もしやすかった。燃費は20km/l程度。調子がいいと30kmを超えたこともあった。総走行距離は53633kmで、乗り継いだ車の中では最短。丁寧に乗って状態も良かったので下取り価格は満足。期末でお勉強もしてもらったので、思い切って乗り換えた。気に入っていた車なので別れは寂しい。でも、会車定離。自分の歳を考えると、同じクラスの車はこれが最後だろう。もうしばらくは遠乗りもしたいのだ。新しい車はヴェゼル。ちょっと贅沢したが、自分は老年世代としてはノービスだ。もうしばらくは運転を楽しみたい。しかし、装備の電子化が進みすぎており、デジタル化の波に乗り損ねた我が頭には少々しんどい。でも、少しずつデジタルデバイドの解消を試みよう。惚け封じにも役立つに違いない。(2024年1月28日)

フクシマとナリタ

福島ダイアログのみなさんと成田空港「空と大地の歴史館」を訪問した。きっかけは昨年12月7日の朝日新聞、安東量子さんの「福島季評」。成田闘争当時の反対派のリーダーと空港公団の担当者のお話を伺える貴重な機会を頂いた。成田空港問題シンポジウム、円卓会議を経て、共生・共栄会議が設置され、成田空港と地域の現在の関係はうまくいっているという。その背景がわかったが、同時にフクシマの問題の複雑さ、困難さを再確認することにもなった。艱難辛苦を乗り越えて良い状況に至ったナリタの教訓は活かされるのだろうか。目を転じれば沖縄でも深刻な事態が進行中である。対話、対話、対話。言うは易いが、こんなに実践が困難なこともない。たくさんの営みを知って、問題ごとに対話へ至る道を考えるしかない。(2024年1月27日)

ぞろ目の66

誕生日を迎えた。自分が66歳になるなんて思いもよらなかった。もう誰も誕生日に気づかずに、昼近くになって"そういえば"となる。最近は人生の調子が悪くなってきたようだ。今は人生の過渡期で、混乱期だ。なんとか春までには完全な軌道修正を完成させたい。その時はいろいろなものを捨てることになるだろう。最近欠けているものは"わくわく感"だ。いくつか始めたこともあるが、没頭できるものを残したい。次のぞろ目まで生きているかわからないが、あと6年は生きて、SDGsとFuture Earthの成り行きを見届けたいのだ。(2024年1月23日)

歴史の果て

今日は父の17回忌、祖母の37回忌の法要を行った。久しぶりに寺にいったら、四角い墓地の敷地の二面で建設工事。ビルが完成したら日照に問題がでそうだ。小さな墓地だが、古い墓には江戸時代の元号が刻まれたものもある。住職によると秋頃に開基400年の集いを開催するとのこと。歴史のある寺だが、すでに寺自体はビルの1階、墓も日当たりが悪くなりそうだ。400年の歴史の果てに、寺はビルの谷間でひっそりと佇むことになる。今は雌伏の時かもしれない。世界では唯一絶対神をもつ一神教は時代遅れになっているように思う。世界が仏教に注目する時が来る。なぜなら、仏教は苦しみから解放されるための哲学だから。仏教には何でも決めてしまう絶対神はいない。仏典は過去2500年にわたり、多くの人々が考え抜いた結果だ。あと数百年経ち、人口も減り、東京も縮退していく過程で古の寺が復活することもあるだろう。(2024年1月22日)

世を捨てる、世から捨てられる

「よく隠れた者こそよく生きた者」、これは聞いたことがある(古代ローマの詩人オウィディウス)。朝日朝刊の「折々のことば」の鷲田さんによる解説から。今日の引用のドイツ文学者である種村季弘氏は、テレビを家に置かず名刺を持たなければ、集いの席でも口を聞かずにすむし人と会ってもすぐに忘れてもらえるという。自分も名刺は必要なくなった。ただし、テレビは今ではパソコン、スマホと言い換えることもできると思うが、自分はとっておきたい。世の中の有様は知って起きたいから。それが自分流隠者の暮らしだと思うから。でも、それは世を捨てたつもりになって、世から捨てられることには諒解していないということかも知れない。そこを乗り越えれば真の隠者になれるかも。(2024年1月20日)

不安から逃れるには

世の中には不安が満ちているなぁ。戦争、災害、差別、格差、などなど、世界中どこにも不安に耐える人々がたくさんいる。日本の将来も不安としか言いようがない。どうも最近の自分は不安に弱くなった。それは漠然とした不安だ。そこで仏教を学んでみた。それは自分の意識世界を広げることには役に立った。仏教を学んで解脱したら安らかになれるのではないかと思ったら、人は生きているうちは解脱できないというのが親鸞の本音だという。では鴨長明はどうだ。晩年に解脱したのではないか。森の番人のこどもと出会うことによって穏やかな日々を過ごすことができたのではないか。良寛さんも遊行の後は庵に住んで、心安らかに過ごせたのではないか。長明さんには童のともだち、良寛さんにはコミュニティーの見守りがあった。やはり、"ひと"との交流が安らぎには必要なようだ。世の中の上層とは距離をおいても、地べたでは"ひと"と密な関係性を結ぶことができれば安らぎが得られ、不安から逃れることができるかもしれない。と頭では考えつつ、心は独りの世界へ逃げ込もうとしている。(2024年1月19日)

一番という思想の背景

朝日朝刊のオピニオン&フォーラム「耕論」のタイトルは「ナンバーワンじゃなくても」。それでも、そこにはキラリと光る魅力や心意気、無二の経験や個性がある、という趣旨。その通りだと思う。この記事は世の中に蔓延する"一番じゃないとだめ"という考え方を背景にしている。競争の参加者すべてが讃えあうことができる競争ならば一番の価値は大きいだろう。しかし、闘争における一番にはどんな意味があるのか。スーパーコンピューターにおける「二番じゃだめなんですか」はよく知られているが(もう若者は知らないかな)、一番と二番では国や社会、あるいは幸せに対する考え方が異なるのではないか。スパコンで一番をめざすことの背後には資本主義における勝者をめざすという考え方が見える。貨幣の増殖を目的に競争し、敗者は退場するのみ、という状況ではなんとしても一番をめざしたいと思うだろう。一方、心豊かな小国をめざそうという考え方のもとでは二番でもいいんじゃない、ということになるだろう(蓮舫さんがそう考えていたかは不明だが)。一番か二番か、あるいは三番以下でもよいか、は哲学や思想に基づく生き様の選択肢なのだ。だからこそ、世界や日本の有様をしっかり見つめ、未来のあり方に対する考え方を構築しておく必要がある。さて、寄稿した三名の文章を読むと、新しい時代の考え方が少しずつ育っているような気がする。政治家やエリートはこのことを意識しているだろうか。(2023年1月16日)

自然の中の暮らし

今日の熊谷は寒かった。でも、空は青いし、日だまりは暖かい。関東の冬は良い。電車が熊谷に近づくと山が見えてくる。荒川の向こうの関東山地がだんだん大きくなってくる。山のある風景は落ち着く。今年度は熊谷には29回通った。その間に冬小麦と稲作の二毛作を見ることができた。一年の季節の移ろいを感じることができたことは幸いであった。あの山の向こう、自然の中にある里で暮らしたい。そんな思いがますます強くなってくる。ひと、自然、農のある暮らしが夢だ。移住も一大決心をすれば不可能ではないのだが、優柔不断な自分は思い焦がれるだけなのだ。寿命もあと十数年あるかどうか。安穏と暮らしたいものよ。次は四月に青い麦を見ることになる。(2024年1月16日)

自殺の背景

赤穂義士の萱野三平の自殺について触れたが、自殺については常々感じていることがある。世の中には自殺があふれている。電車で外出すると頻繁に人身事故の影響によるダイヤの乱れの情報に出会う。それらはほとんどが自殺が原因だと思っているが、その背後には死ぬほどの苦しみがあったのだろうと想像する。死ぬことによって苦しみから逃れることができたのだから、ようやく楽になったね、といたわってあげたい。こんなことを言うと、けしからん!という声が飛んできそうだが、高みから死ぬなと発信するだけで終わってしまっては自己満足に過ぎないと思う。せめて背景の様々な事情に思いを馳せて、生きやすい社会を創造するにはどうしたら良いか考えたい。先日読んだ五木寛之・横田南嶺「命ある限り歩き続ける」にも自殺に関する文章があった。命の尊厳を考えるのであれば、死もまた尊厳である(佐々木閃の言葉)。また、ある師のことばとして「自ら死を選ぶほどの苦しみは他人にはわからないものだ。だから他人がどうこう言うことはない。そっとしておいてあげればいいんだ」。この師は戦争中サイパンに出征して生き残った方。晩年の病の苦しみに耐えかねて自ら命を絶ったお坊さんを見た僧がブッダに「この修行僧はどうなりますか」と聞いた。ブッダはただ「あれは涅槃に入った」と言った。死は苦しみからの解放である。もちろん、自殺を肯定するのではない。カントが言うように生きることこそ尊いのだ。価値がないと思われる生であっても、それを生きる行為こそ尊い。生きることが苦痛であったり、人生に希望を見いだせないが、それでも生きる姿は人に深い感動を与える、とカントは言う。確かにそうだが、じゃあどうすればいいのよ、とも言われそうだ。苦しんでいる人々が少しでも楽になることができる社会のあり方を考え続け、その実現に少しでも貢献したいと答えるしかない。世の中は関係性で構築されている。思い続ければどこかで少しは役立つこともあるかもしれない。(2024年1月14日)

なぜ隠者になるのか

司馬遼太郎の対談集「東と西」から。李御寧氏は日本では二者択一というよりも、二者をそのまま置いて通ってしまうという。博多と福岡から発した話題であるが、みんな積み重ねて抱擁してしまうのが日本的な感覚じゃないかと。能・謡曲、歌舞伎の面白さも択一的なところにはない。赤穂義士だった萱野三平は討ち入りの日、父親が行くなと言うから行くことができなかった。すると君に仕えたことにならない。忠と孝の二者択一ができず自殺してしまう。これは自分の問題と同じだなと思う。自分は自殺する勇気などないので、隠者ということになる。問題に対峙したとき、Pielke(2007)の論点主義者(issue advocate)で行くか、誠実な仲介者(honest broker)でいくか。自分は論点主義者でいきたいという気持ちがあるが、様々な立場もわかる。でも誠実な仲介者だと高みから発信して自己満足ということになりがちなのでいやだ。とはいえ論点主義者に必要な力もない。論点主義者でいられたらなんて幸せだろうか。自殺する勇気はないので隠者になるしかないのだ。(2024年1月14日)

災害に備えて暮らすということ

新年最初の講義は少々脱線になるが能登半島地震の話から始めた。防災力をつけるためには、ふるさとの災害履歴と土地の成り立ち・性質を理解すること。遠隔地で災害が発生したときはその都度勉強しておくことが大切。能登半島地震に関する震度情報、活断層分布、地震に伴って発生した地すべり、崩壊、液状化、等のハザード、および過去の日本の地震災害における同様の事例等を話し、災害をわがこと化してもらう。簡潔に説明したつもりだが、だから、それで何なの、というところが大切だ。ハザードを説明しただけだと、"危険な場所に住んじゃいけませんよね"ということになりがち。ハザードを理解し、再来を諒解して、備えること。それに加えて、ふるさとの暮らしの良さをたくさん見つけてほしい。原風景のなつかしさ、地域のコミュニティーのありがたさ、家族の笑顔、たくさん思い出してほしい。ふるさとで暮らしつづけることの諒解を形成することが、災害に備えて暮らすということにつながる。(2024年1月10日)

「おやじの壁」言説

朝日朝刊の連載「8がけ社会」から。「ものを決めるのは、みんな男。おじさんが世の中を支配しているんだから」女性は低待遇。男女雇用機会均等法の成立に尽力した旧労働省の婦人局長だった赤松良子氏の前に立ちはだかったのが「おやじの壁」だという。そのとおりやなぁと思うが、ちょっとおやじの肩も持っておきたいなぁ。引退してからいくつかのNPOや団体と関わっているが、環境保全、気候変動、こども、SDGs/ESD、などの活動に尽力し、未来を創造しようとしているおやじをたくさん知っている。女性リーダーを支えるおやじも多いのだ。草の根の団体では謙虚なおやじが多い。壁になってしまうおやじは、高度経済成長期の成功体験から抜け出せない人、あいまいな日本社会の中で何となく権力を得てしまった人、時代の精神が見えない人、など、いくつかの背景があるように思う。おやじが壁であることもあるが、壁はおやじであるとは限らない。草の根では何かことをなすときに力を発揮するのはどちらかというと女性である。地域に関わるようになってから、そんな場面をたくさん見てきた。おばさんが社会を変えていく力を持つ。時代は変わりつつある。もうすぐ女性が男性を凌駕する時代がやってくるはずだ。おやじとしてはせめておばさんと協働させて頂けるくらいの力は付けておきたい。(2024年1月10日)

最前線に身を置く

朝日朝刊オピニオン面、タイトルは「『道理』は最前線に」、「サケ減りクマが襲う/人を脅かす環境変化/現場で解決するしか」、「じりじり感じるうすら寒さ/生き方切り替える」。作家の河崎秋子さんの寄稿である。長くなるが重要な点をメモしておきたい。「害獣問題や環境変化には、影響を受ける山里や第1次産業などの最前線の現場がある。その場に立ち、感情や経済的な損得を含めた事情に踏み込まねば見えてこない道理というものが存在する。それらを踏まえて出された最適解でなければ現実的な解決にはつながらない。/逆に言えば、現場を知らずに『こうすべきだ』と遠方から意見をぶつけ、それがたとえどれだけ善性に基づく提言だったとしても、現実に即した解決策にはなりえないのだ。重ねて言う。心で思うのは自由だ。声を上げる権利もある。だが意見を押しつけた時点で現場当事者にとってはただ負担がますだけだ」。私は定年後はアカデミアからは距離をとろうと思ったが、それはもっと現場に深く浸透し、その有様を深く理解したいと考えたからだ。最前線で、問題とは何か、問題の解決とは何か、について考えた。現場との関わりを深めた結果、様々な現場の事情と葛藤、感性の領域の重要性、そんなことに気がついた。アカデミアに発信もしたが、どうも"科学教"とでもいえるような科学の世界の精神的習慣が大きな壁としてあるように感じられた。人生の最終ステージはもっと現場に接近したいと思う。そこからオルタナティブ・サイエンスの道筋が現れ、この世界の未来の姿が見えてくるはずだ。(2024年1月8日)

老人の役割

久しぶりに高校の同窓会に出席した。みんな65歳を超え、老年期に入った。近況報告を聞いていると、65歳前に引退して新しい生き方を選択した人が何人かいた。企業戦士として戦ってきた世代だが、これ以上心身を酷使するのは勘弁、というわけだ。生涯現役世代というかけ声もあるが、決して経済的モチベーションだけではなく、生き様を大切にする社会であることが重要だ。老年世代がゆとりを持ち、創造的に暮らすことができれば日本は変わるのではないか。若者に期待する声も大きいが、実は老人の役割が大切な時代に入ったのではないか。若者に期待するのは、進歩、発展、成長を旨とする未来に向かう一本道の社会への指向で、それは一神教のヨーロッパ思想でもある。過去、現在、未来は一本道ではなく、めぐりめぐる時間の中で循環するものだ。異論もあろうが、低成長時代の思想といえると思う。そんな世界では老人の経験、知恵は貴重な資源になるはずだ。日本が世界に先立って到達する未来の社会の姿が見えてきたような気がするが、さて、老人の我田引水か。そこで調べたらこんな文章を見つけた。国連の「第2回高齢化に関する世界会議」(2002年)で、 「21世紀の高齢者は、社会から庇護され労われる存在ではない。高齢者こそが社会の担い手になるべき」と宣言しているそうだ(国際長寿センターHP、志藤洋子氏の講演資料)。老人も忙しくなりそうじゃ。(2024年1月7日)

フロー型社会とストック型社会

能登半島地震では道路が寸断され、集落の孤立が問題となっている。朝日朝刊トップの見出しは「続く孤立 輪島14地区」。ではなにが問題か。もちろん地盤災害による二次災害、医療や福祉の機能低下、等々いろいろあるだろうが、それ以外にも重要な観点があると思う。伝統的な社会であれば食料は備蓄があり、水は地下水や渓流から得ることができるので、家屋が維持できていれば長期間持ちこたえることができた。これがストック型社会の強さだ。問題の本質は水を含む生活に必要な物資を商品経済の中で獲得する仕組み、すなわちフロー型社会にあるのではないか。水は足下にあるのに水道が壊れると得られない。食料は商品として必要分を購入するので流通システムが壊れるとすぐに不足する。どちらがよいと言うことではなく、両者の利点を活かすことができる社会のあり方がよい。それは地域が自立し、ネットワークで結ばれる社会という言い方もできるかも知れないが、すでにいくつかの基本計画には姿を現している。その実現が今後の課題だろう。(2024年1月6日)

価値のものさしの変更

朝日朝刊の経済・総合面の記事でジャパネットの高田社長がこんなことを言っている。「決まりがきつくなるほど、批判を恐れ平均化した企業にしかならず、とがったものが生まれない」と。企業も大学もガバナンスが強化されるばかりだが、日本人はガバナンスをガバメント(支配)と勘違いし、やたら厳しく統制したり、高い目標を掲げるようになった。それはトップの力量不足に起因するが、そのことが昨今の企業や大学の業績低迷につながっている。企業人や大学人が自由に考え、行動することは低成長時代では無理なのか。いやいや、価値を貨幣や数字ではなく、本質的な価値、たとえば生き甲斐や利他の実践に変えることができれば日本は生まれ変わるのではないか。(2024年1月6日)

年寄りの役割

五木寛之曰く「これから先の人生百年時代では、八十歳、九十歳の人たちの言葉というのも世の中に必要だという思いもあります」(五木・横田対談、至知出版)。明治の文豪は若くしてなくなっている人が多く、人生の意義を書いた作家が少ないという。なるほど、それは重要な指摘だ。宗教の味付けという観点でも五木は始祖が世を去った年齢と、その宗教の本質には深い関係があるように感じるとのこと。キリストは30数歳で復活したから、キリスト教には青春の香りがある。理想があり、夢があり、未来があり、愛を語り、感動的でヒューマンな若々しさがある。ムハンマドは60を過ぎてなくなったので、イスラム教は社会人の宗教。ブッダは80歳で亡くなったので、晩年の精神の衰え、肉体の苦痛を味わっていた。老齢化社会ではブッダの思想が大事だという。法然は78歳、親鸞は89歳で亡くなっている。仏教には高齢化社会を生きる知恵がある。私も歳をとって(哲学としての)仏教に傾倒しているが、それは現在を見つめ、諒解することでもある。世の中、未来を語らないとおかしなやつといわれてしまいそうな風潮があるが、まずは過去から続いてきた現在をしっかりと見つめることで人生を諒解することができる。それが低成長時代に入って迎えた高齢化社会を生きていくために必要なことであり、若者にも伝えなければならないことではないか。(2024年1月4日)

怨心平等

鎌倉の円覚寺では昔から「怨心平等(おんしんびょうどう)」、すなわち敵も味方も平等に弔う、供養するということを言っているそうだ(五木寛之・横田南嶺、至知出版)。元寇のあと開創された円覚寺の根本精神は、日本と元の双方の犠牲者を弔うこと。日本には戦った相手も排除せずにきちんと弔うという伝統があった。少なくとも明治の頃まではあったが、だんだん失ってしまった。「和」を掲げる日本人は「怨心平等」の精神を取り戻さなくてはいけない、と横田禅師が語っている。この怨心平等こそ日本が世界に向けて発信しなければいけない精神ではないか。過去を反省し、その上で世界に向けて発信しなければ、日本はつまらない小国になってしまう。(2024年1月3日)

新年の幕あけのできごと

なんということだろう。大地震で新年の幕が開くなんて。幸せから不幸へと、状態が一瞬で変わってしまった多くの人々がいる。一方で、安穏と正月を過ごす大多数の人々。世の中はなんて不平等なのだろうか。自分の状態も突然変わることがあるかもしれない。でも諸行無常は世の常。よどみに浮かぶうたかたのように現れかつ隠れ、水に流されていくしかない。五木寛之の文章にこんな言葉がある。「焼け跡にも花は咲く、少々のことがあっても人間は生き延びていくんだという思いは、僕らの世代の特徴としてありますね。」(五木寛之と横田南嶺の対談「命ある限り歩き続ける」至知出版)。避けようのない苦しみは人を強くするかも知れない。安穏に暮らすわれらは世の中のありさまを見つめつづけ、苦しみに耐えられない様をみつけたらできるかぎりの布施を心がけていけばよいのだと思う。(2024年1月2日)

新年の挨拶

新年あけましておめでとうございます。といってもおめでたいのかどうか、よくわかりません。世の中には苦しみが蔓延しています。そんななかで、おめでたいというのははばかられます。苦しんでいる方々は平和のための犠牲者なのだろうか。人間の世界は犠牲がなければよくならないのか。犠牲なくして安穏が得られる世界。宮沢賢治が考え続けた世界。地球環境問題の本質はそこにあるのではないか。問題の解決とは諒解にすぎないということも意識しなければいけません。高みで謳うだけでなく、諒解の形成を実践しなければなりません。だから、現場との交わりを続けたいと思います。日本はこころ豊かな小国でよいのではないか。これを問い続けたい。(2024年1月1日)

2023年のつぶやき